meiko再生日記。

双極性障害Ⅱ型。社会復帰ハジメマシタ▶︎再生

MENU

少し早めに、今年の振り返りを。

こんばんは、meikoです。

 

わたしよりも彼の方が帰宅時間が早い週なので、最近は前日深夜に書いたものを翌19:00〜20:00頃に予約投稿をしています。

 

ちょうど投稿してしばらくしてから休憩に入るので、「ああ、読んでくださっているなあ」とあったかい気持ちにさせていただいてます。

 

PCでじっくり取り組みたい記事は手付かずなので、来週はいろいろ書きたいなと思っております。

 

さて本題に入ります。

今年の振り返り

まだ今月半分残っているので、暮れに再度総まとめ的に振り返る事はあるかもしれませんが、現時点での今年を振り返ってみることにしましょう。 

1月

前職(正社員)で、少しだけ立場が上がる。

デスクをお引越しして、ワイドなデスクトップのMacを仕事用に与えられる。

少し嬉しい反面、今までよりさらに仕事が増えて帰れなくなり、家に帰ると無意味に泣き出していた。

彼にもよく迷惑をかけた。

みなし残業超えて残業しても、給料明細には残業時間0になってるの見てなんとも言えない気持ちになった。

まあ、毎月のことだ。

2月

薬が増える。

家に帰ったとき以外にも、日常的に意味もわからず涙が出る事が増える。

消えたい…と言いながら泣いていたそう(彼談)

HTMLをお急ぎで詰め込み学習し、web担当の役割も増える。さらに帰れない。

でも、わたしだけが帰れないわけじゃない。みんなが平気なのになんでわたしは辛いんだ、と毎日自己批判していた。

3月

企画が通る。ちょっと嬉しい。

相変わらず抑うつ状態がひどい。

何も食べてないのに、水分ですら受け付けず吐いてしまう日々。

毎日残業7〜9時間の日々は辛い。

みなし残業時間はとうに超えている。残業手当は2万円のみ。

手取りは深夜アルバイトの方が稼いでいるんじゃないか?と思う。

月末、限界を感じて退職を願い出るも保留になる。

4月

話し合いの末、部署を異動して働くことに。

残業1〜3時間程度で帰れる喜びを知る。

ただ、新しい部署はパワハラがキツイ。

あと、やたら「女だから」という性別のことでキツく言われることが多かったな。

男の人ばかりの会社だったので。

虫にびっくりしたことを怒られたりだとか、今思えば理不尽なことも多かったな。

5月

たまに定時で帰れる日もあった。

仕事の幅は増えたけど、早く帰れることが嬉しくて頑張ってこなしてた。

ただ、手の震えと涙が職場でも出てくるようになった。

今までも欠勤した日はあったけど、少し増える。そして自己嫌悪。

家に帰ってからは泣き続けていて、毎日目が腫れていた。

相変わらず消えたいと毎日思っていた。

6月

上旬に大きな仕事があり、なんとか成功で終わる事ができた。

不眠と鬱の症状がひどく、主治医にもこれ以上は…ということで、休職するようにと言われる。

診断書とともに休職を願い出るも、「うちにはそういう制度ないから辞めよう、な?」と言われ、会社の様式を渡され、その場で退職願を書くことになる。

さようなら。会社。

最後はあっけなかった。

7月

はじめてのハロワ。

離職理由は自己都合で間違ってないかと聞かれ、病気で休職を願い出た件を正直に答えたところ「就労可否証明書」を出せば、「正当な理由がある自己都合」という離職理由に変更されることを知った。

これで30日の待機が免除され、7日間待機で給付が始まるそうだ。

また、この特定受給資格者になれば国民健康保険も減額されることを知った。

この月はいろいろな制度の事を、身をもって知ることですごく勉強になった。

8月

職業訓練校に申し込みをする。

面接などはなく書類審査だけなので、来月の結果までは就職セミナーに何度か通ってみたりした。

この頃離人症の症状が多く出た。

だいたいケンカを吹っかけるようなキツイ物言いを自分がしているのを見ている。

そんなこと言っちゃダメだよ…と思っているのに、目の前の自分が勝手にペラペラ話しているのは何度体験しても気味が悪い事だ。

9月

彼実家トラブル発生。

病院、役所、その他諸々色々な問題が多すぎた。

それらの対応でとても頭と気を遣って、全然休めなかった。

なんでそれぐらいちゃんとやってないのか!なんでそれぐらい調べられないのか!など、今更誰が悪いを追求しても無駄なので、イライラしながらも全部片付けた。

そのおかげか、彼父に気に入られたのでまあ良いか。

全ての元凶であり、イライラの矛先だった彼母はもう口を聞くこともできないので、責めても仕方ない。

無事、職業訓練校は無事受講許可が下り、10月から職業訓練生として生活することになった。

10月

調剤事務と医療事務を学ぶ職業訓練校に入校した。

同時にこの『meiko再生日記。』を書き始める。

勉強内容はとても好きで、楽しいなと思えた。

ただ。通学に使う電車がつらくて頓服の量が増えたり、遅刻したり欠席することも多々あった。

昼休みに通う、昔ながらの喫茶店にいる時間が心地よかった。

ふとした事で見えにくい首の刺青がキャリアコンサルタントにバレた。

他の箇所は自己申告していないけれど、「たとえきちんと隠したとしても、刺青があるので医療業界では働けません。刺青が入っているという事自体がダメなので。」とバッサリ斬られる。

やりがいや楽しさを感じてきたところでこれだったので、さすがに落ち込む。

ブログを放置してしまった頃ですね。

11月

少し立ち直ったところで、改めて医療業界とは別の業界で仕事探しを始める。

前々職の同業他社、大手企業の総務課。両方合格して悩む。

環境変化での病状悪化などの不安があったので、前々職の同業他社で働くことに決めた。

前々職の元上司である彼も、「この仕事をしていた時期が一番イキイキしてたし仕事もデキる人だったよ!」と褒めてくれたことが後押しになった。

その職場で、いま働いている。

12月

もう半分終わったのかー。早いものです。

 

パニック障害を告白した件で、配慮いただけるのか不安ではある。

まとめ(仮)

今年のわたしは、病状悪化・退職・職業訓練校・社会復帰・ブログを始める、と盛りだくさんな一年でした。

改めて並べてみると、確かにこれは疲れるなあと自分でも思います。

 

今年もあと少し。

精一杯、毎日を少しでも楽しく過ごしたい!

そして、どん底からまた復活しつつある自分を褒めてあげたい!

来年は病気とうまく付き合えるように、また、そうやって成長している様子をブログに残していきたいと思っています。

それ以外にも、色々な事を書き残していきたいな。

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。